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桂 三語の知らんがな
落語家なのにオチのない話をしてます
Rakugo is limited to live.
やっぱり落語は
ライブに限る。
噺家にとっての舞台は「生きがい」。
噺家は舞台に立つことを生業とし、
その姿や落語を見聞きしていただくことを喜びとしています。
時代は流れ、急速に変化しています。
人の価値観は変われども、
根本である性格・性質は変わりません。
「笑い」に限らず、人間の心も本質を描くあり方も
「落語」を通じて体感していただきたいと考えています。
“ やっぱり落語はライブに限る。”
寄席や劇場に足を運んでくださった皆様に
そう思っていただけるよう、
これからも落語道に精進して参ります。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。
─ 桂 三語 ─
Episode of Katsura Sango
桂三語
エピソード零
桂三語が生まれるまで
おじいちゃんは、
おじいちゃん。
本名、関岡 洋志(せきおか ひろし)。
1985年5月21日、枚方の一般家庭で生まれた2人兄弟の次男である。
よく遊んでいた公園にはなぜかゴリラが居た。
街の木々にイルミネーションが灯される頃、家におじいちゃんがやってきた。
大好きなおじいちゃんと会えるのが嬉しくて、全力で車に駆け寄ったのを今でも覚えている。
翌朝。
目が覚めると枕元に荷物が置かれていた。
赤色の包装紙、両手で持ち上げられるほどのサイズ感、その荷物には見覚えがあった。
「あ、昨日おじいちゃんの車に積んであったやつやん・・・」
この時、小学1年生。
おじいちゃんが何者であろうと、おじいちゃんはおじいちゃんだ。
おかんがいつも
言うてるやん。
肌を黒く焦がし、靴は泥まみれ。
サッカーに明け暮れるスポーツ少年は、色恋への関心も薄かった。
中学になり、そんな自分にも好意を寄せる女の子が居た。
給食の時間。
ごはんから立ち上る湯気の先にはその子が見えた。
両手を合わせ「いただきます」の号令。
しばらくして、目を疑った。そして、耳を疑った。
その子への想いが音を立てて崩れていく。
おかんにいつも言われていた言葉が脳裏をよぎる。
「ご飯を食べる時は、口を締めて食べや。」
今でも思うが、なんとも子どもらしくない“ませた子ども”である。
ただ、これだけは言えるのが、その頃「おかんが言うことは絶対」だった。
きっかけは突然に。
小さな頃から“吉本への興味”を抱きつつ、ある面接が運命へと変わる。
5人のグループ面接、自分は4番目。
面接官より志望動機の質問があった。
1番手の解答を参考に、自分の解答を用意する。
2番手が答えはじめた時、そのフレーズに耳を疑った。
「私は芸人を目指してNSCに入ったのですが…」
その時、自分の中で何かが弾けた。突然の劣等感に苛まれ、負けず嫌いの性格に火が付いた。
「この人が挑戦してんのに、なんで自分が挑戦してへんねん!」
芸人への道は、偶然面接に居合わせた名も知らない人によって切り拓かれた。
ワタシ、
ラクゴカデス。
ある日、外国人に出会った。
「アナタ、ゼッタイ ラクゴカ二ムイテマスヨ。」
この外国人こそ、桂三輝である。
そして、1枚のCDをくれた。
CDには桂三枝の落語が収録されていた。
「えっ・・・めっちゃおもろいやん。」
その後、さらに桂三枝の独演会の情報を知る。
場所はなんと自分の生まれ故郷の枚方である。
後日、独演会に足を運ぶ。生で見る落語はCDとは違った。
震えが止まらず、もう何の迷いも無かった。
手紙を送り、弟子入りを申し出た。
あの親子丼。
2009年12月3日、国立文楽劇場。
兄弟子の桂三金も一緒である。
夜になり、親子丼を注文する流れに。
「関岡くんも食べや。」
師匠からの労いの言葉が温かかった。
親子丼を三金兄さんと一緒に食べながら、自分の中では密かに早食い勝負をした。
当然勝てない、流石である。
兄さんが一足先に食べ終えた頃、師匠が言った。
「おい、三金。関岡くんの名前決めたわ。」
師匠は近くにあった色紙を手に取り、こう綴った。
─ 桂 三語 ─
「“三枝の落語を語り継ぐ”で、桂 三語や。」
まさか親子丼を食べている時に名前を頂戴するとは思いもしなかった。
胸の奥から滲み出る喜びは、親子丼の旨味を一層強くした。
“あの味”を超える親子丼には、もうきっとこの先出会わないだろう。
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Rakugo Manual
はじめての落語マニュアル
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